国民食・ラーメンの歴史は東京・浅草(台東区)にあった「来々軒」から始まったとされる。1910(明治43)年に開店し、多くの人に愛されながら1976年にのれんを下ろした来々軒が7月2日、浅草で復活する。創業者の孫とやしゃごの悲願が、伝説の一杯をよみがえらせた。(落合夏子)

創業の地・浅草で再オープンすることが決まった「浅草來々軒」=東京都台東区で(隈崎稔樹撮影)
豚と鶏をベースにした透明なしょうゆスープを口に含むと、こってりと甘みの複雑な味が広がった。しなやかな縮れ麺は上品な小麦の風味。素朴なメンマ、風味を引き立てる九条ネギ、少し甘みのある赤いチャーシュー。昭和を思わせる「町中華」だ。
来々軒は、横浜税関の職員だった故・尾崎貫一氏が浅草で創業。中国伝来の「南京そば」は脂っぽく臭みがあったため、日本人向けにしょうゆを入れた「らうめん」に改良。日本のラーメンの原型になった。町中華の発祥となった店には、毎日大勢が詰めかけた。
尾崎氏の孫・高橋邦夫さん(92)は「テーブルごとに1人はウエーターさんがつき、どんどん客を入れていたね」と当時のにぎわいを懐かしむ。戦後は東京・八重洲や内神田に店を移したが、後継者が見つからずに閉店した。

「浅草來々軒」再建を決めた経緯などを話す創業者の玄孫、高橋雄作さん=東京都台東区で(隈崎稔樹撮影)
だが、新横浜ラーメン博物館(横浜市)が店の歴史を調べ続け、その功績を同館に展示。小麦の種類を特定し、スープや具材なども調査した。邦夫さんと、その孫の高橋雄作さん(38)の承...
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