<平和の俳句2024>
百日紅(さるすべり)爆死の友の鎮魂花(ちんこんか)
斎藤幸一(89)東京都町田市
「家族ごと戦争の犠牲になった友達の家にあったのがサルスベリ。毎年夏に咲く花を見ると涙が出るんです」。自宅近くの広場にあるサルスベリの前で、斎藤さんは経験を語った。
戦時中、空襲の激化に伴い東京・小石川から足立区に一時避難。軍属の父はサイパンで戦闘に巻き込まれて亡くなった。訃報の電報を握り締め、物置に駆け込んだ母の姿を覚えている。
サルスベリの前で自身の経験を話す斎藤幸一さん=東京都町田市で(池田まみ撮影)
学校では、同級生の「石黒くん」と仲良くなった。「くろちゃん」「こうちゃん」と呼び合い、毎日のように遊んだ。くろちゃんの家の工場で製造したあめをもらうこともあった。
1944年春、自宅で本を読んでいると、大きな音とともに衝撃を感じた。コンクリートの塊が台所の屋根を突き破っていた。
「お友達の家が大変なことになっちゃったよ」。祖母に手を引かれて向かうと、くろちゃんの自宅も工場もなくなっていた。爆弾で粉々になった建物の破片をかき分け、姿を捜したが見つからなかった。
花が咲く間、毎日広場を訪れ、くろちゃんを思う。「生かされた命だから世の中の役に立ちたい」。今は地元の高齢者クラブなどの活動に取り組んでいる。(服部展和)
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若者を兵器にする人間魚雷が保管された洞穴、空襲で犠牲になった友の家にあったサルスベリ…。今も残る場所や草木が、戦争を経験した人たちにいや応なく「あの日」を思い起こさせてきた。東京新聞が8月中に掲載している、読者が詠んだ「平和の俳句」。ウクライナやパレスチナ自治区ガザなどで今も戦火がやまぬ中、つづられた「平和の俳句」には、悲しみ、怒り、不戦への願いが宿っている。
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