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熊本は夏目漱石の「第二の故郷」 ヒロインのモデルに出会い、あの頃が「一番おもしろかった」と書き残し

2026-08-27 HaiPress

〈本を読もう、街に出よう〉

最大震度7の地震で人命が奪われ4万棟ほどの住宅が被害を受けた熊本を、この人も泉下から案じているだろう。130年前の1896年に第五高等学校(現熊本大)に英語教師として赴任し、そこでの体験から「草枕」を書いた夏目漱石である。国費留学でロンドンに向かうまでの4年3カ月ほどを過ごし、その間に結婚し、長女も誕生。人生の転機を迎えた熊本は漱石の「第二の故郷」だった。(鈴木伸幸)

◆「草枕」に登場する那美のモデル

智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい」。

時代や場所を問わず、誰しもが感じる悩みを文字化した「草枕」の名文句だ。その名文句の直前に「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた」とある。漱石は熊本に赴任した翌1897年の大みそかに、年末年始を熊本市近郊の小天(おあま)温泉でのんびり過ごそうと自宅から北西に歩いて向かった。道中の金峰山のふもとが、その山路だ。

国立国会図書館「近代日本人の肖像」より

「草枕」は、漱石の分身ともいえる若い画工の一人語りで物語は進む。俗世間のしがらみを嫌う画工は、芸術が「人の心を豊かにする」と信じ、温泉宿で芸術の在り方に思いを巡らせる。その温泉宿には、城下町の資産家に嫁いだが離婚して戻ってきた那美がいた。教養ある美しい娘だが、画工が温泉でくつろいでいると、そこに平気で入ってくる豪胆さも持ち合わせていた。そんな那美に画工は関心を持つ。

那美にはモデルがいた。漱石が実際に泊まった温泉宿の娘、前田卓(つな)だ。父親の案山子(かがし)は地元の名士で...

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