明治の俳人・正岡子規が暮らした東京都台東区根岸。路地や店先で俳句の短冊が、ふと目に留まる。街の各所に、子規が根岸で詠んだ句を掲示する「根岸子規会」の取り組みだ。どんな狙いがあるのか──。句をたどりながら、会のメンバーと根岸を歩いた。(小倉貞俊)

俳句の短冊について煎餅店「手児奈せんべい」の店主と話す「根岸子規会」の小川さん(右から2人目)、稲葉会長(左)ら=東京都台東区で(横田航洋撮影)
JR鶯谷駅南口から新坂を下ると、そこは寺社や細い路地が残る根岸の街だ。要伝寺の門脇の扉には、1枚の短冊が張られていた。
「新阪を下りて根岸の柳哉(かな)」。
「当時は坂を下った先に柳のある風景が広がっていたんでしょう。子規は、見たままを写実的に詠んだ句が多いんです」と、子規会の小川宗也さん(55)。句を手掛かりに街を歩くと、普段は見過ごしている風景の中に、子規が見た根岸の姿が浮かび上がってくる。

正岡子規=国立国会図書館「近代日本人の肖像」より
子規は1892(明治25)年から、病没する1902(明治35)年まで根岸で暮らした。子規会が数えたところ、この地で詠まれた句は少なくとも250句。会では20年前にも、...
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