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<カジュアル美術館>福田平八郎《筍》《牡丹》 山種美術館

2024-10-20 HaiPress

◆生命力のインパクト

《筍》1947年絹本彩色134.2×99.4センチ山種美術館蔵

にょっきりと、上へ上へと力強く伸びる、2本の黒い筍(たけのこ)。画面の中から、圧倒的な存在感で目に飛び込んでくる。

筍の姿は特徴をとらえてリアルな印象だが、それを囲む竹の落ち葉は細かく描き込まれず、背景デザインのよう。周りにあるはずの竹は一切描かれていないが、竹林に差し込む陽光か、落ち葉の上のそこここが、ほわんと黄色くなっている。画家自身が後年、新聞に寄せて「私の絵は、わかりやすく言えば、写実を基本にした装飾画と言えると思います」と述べた通り、本作では写実と装飾が美しく融合している。

大分市出身で京都市立美術工芸学校、同市立絵画専門学校で学んだ福田平八郎(1892~1974年)が、帝国芸術院(現・日本芸術院)会員となった55歳で日展に出品した作品だ。

実物は、チラシでイメージしていたよりもかなり大きい。山種美術館の山﨑妙子館長は「60号近いサイズに、筍だけを描くという潔さ。シンプルに対象を絞ったことで、非常にインパクトが強く、一度見たら忘れられないものになった」と感嘆。この時期には小林古径ら、他の日本画家たちもモダンな作品を発表していたが「平八郎の発想は突出している」と語る。

山﨑館長の推す注目ポイントは「筍の黒い色」。墨ではなく、恐らくさまざまな色の岩絵の具を重ねて表現されている。展示室で近づいてよく見ると、ただの黒ではない複雑な色彩に驚かされる。

◆写実を究めた後に

《牡丹》1924年絹本彩色二曲一隻163.6×287.6センチ山種美術館蔵

大胆な構図でモダンな作品を数々手がけた平八郎だが、当初からこの作風だったわけではない。大正期には中国・宋代の「院体花鳥画」のような精緻な日本画を追求した。このころの《牡丹(ぼたん)》は、執拗(しつよう)なまでの細密描写で大輪の牡丹を描き出し、画面には濃密な空気が漂って妖艶ですらある。

だが、写実を究めたその後は、すっきりとした画風に変化していく。入念な観察と写生は続ける一方で、俵屋宗達ら琳派(りんぱ)の作品に心を寄せ、装飾的な表現を取り入れながら独自の芸術を確立していったのだ。本作では、落ち葉を描くのに琳派のトレードマークの「たらし込み」技法を用いた。その柔らかくにじむ線の効果で、主題の筍がくっきりと浮かび上がっている。

◆表現の可能性模索

院体花鳥画から琳派へという関心の変遷は、平八郎に限らず、同時代の画家の間での流行だという。明治末以降の社会の変化の中で、多くの画家が、日本画はどうあるべきかと試行錯誤していた。戦後は国粋主義への反動から伝統的な日本画を批判する動きもあったが、平八郎は確固たる信念を持ち、日本画表現の可能性を模索し続けたという。その過程を想像すると、本作の筍のみずみずしい生命力が平八郎の矜持(きょうじ)と重なるようで、まぶしく映った。

◆みる山種美術館(東京都渋谷区)はJR、東京メトロ日比谷線の恵比寿駅から徒歩10分。問い合わせはハローダイヤル=電050・5541・8600=へ。いずれも12月8日まで開催中の特別展「没後50年記念福田平八郎×琳派」で展示中。開館時間は午前10時~午後5時(4時半までに入館)。月曜休館(11月4日は開館し翌日休館)。一般1400円、大学・高校生1100円、中学生以下無料。

文・林朋実

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